平尾さんの訃報を聞いて、本当に信じたくない気持ちでいっぱいです。
平尾さんとは、日劇ウエスタン・カーニバル40周年の1998年に『銀座TACT』で、平尾さんはじめ、ミッキー・カーチスさん、山下敬二郎さんの“ロカビリー三人男”のステージをプロデュースしたのがお付き合いの始まりでした。
その後、『帰ってきたウエスタン・カーニバル』というイベントでステージもご一緒するようになり、'02年には、平尾さんが当時パーソナリティを務めていらしたTBSラジオの番組で、「ビリー諸川をロカビリーの伝承者に任命する」とおっしゃってくださったのでした。
こんなこともありました。
「お前の娘、リカっていうんだよな?俺が昔作った三連のバラッド曲で〈リカちゃん〉っていうのがあるから、それをお前にやるからロカビリーにアレンジしてみたらどうだ?」と言われて、僕のアルバム「昭和ロマンビリー」にロカビリーにアレンジした〈リカちゃん〉を収録させて頂きました。このとき、同じアルバムに平尾さんが作曲された必殺仕掛人の主題歌の〈荒野の果てに〉も入れさせて頂いたのですが、平尾さんはこの僕のバージョンもとても評価してくださいました。
ジャイアンツの大ファンで、長嶋茂雄さんの大ファンでもあった平尾さん。僕が大の長嶋さんファンだと知って、わざわざ東京ドームから、「おーっ、ビリー。今、俺、東京ドームに来ているんだけども、羨ましいだろ?長嶋さんもいるよ〜」とそんな茶目っ気もある人でした。
平尾さんとの思い出はまだまだ沢山あるのですが、思い出せば出すほど、切なくなってしまいます。
きっと天国で山下敬二郎さんと会って、弟みたいに可愛がっていた敬二郎さんをまた叱ったりもしているんだろうなあなどと思います。一緒にエルヴィスのステージも見にも行くんだろうなあなどとも思います。
平尾さんは、平尾先生と呼ばない僕にとても優しくしてくださいました。まだお付き合いが初期の頃、僕は平尾さんにこうお伝えしました。
「平尾さん、僕にとって平尾さんはあくまでロカビリーの歌手なんです。ですから、先生ではなく、平尾さんと呼ぶことをお許しください」
すると平尾さんは、
「ああ、もちろん構わないよ。俺は歌手だからね」
とあの人なつっこい笑顔を返してくださいました。以来、ずうっと“平尾さん”でした。
平尾さん、どうか安らかに。
本当に、本当にありがとうございました。感謝の気持ちしかありません。
生涯ロカビリー
全日本ロカビリー普及委員会会長
ビリー諸川